副工場長のオフィス

ちなみに私は副工場長ではありません。

計画性について

 

 

 

今週は締め切りの作品を仕上げることに根を詰めておりました。

最近はこれまで以上に作品の密度を上げることを心がけて描いていることもあり、一枚一枚にとても時間がかかります。描くこと自体にもそうですが、それ以上に絵の細部に何を構成するかを考えることにいちいち時間がかかってしまいます。

 

しかし今回は比較的スムーズに事を運び、締め切り前夜に徹夜することもなく無事作品の画像を提出することができました。

思い返すと、締め切り前夜にバタバタしなかったのは初めてかもしれません。

 

大学時代にはよく二徹して講評会に作品を提出していました。無茶のできる若さがあった頃はそのような無計画な制作でも無理やり乗り越えられていました。当然、講評会中は自分の番が回ってくるまでウトウトしていましたが。

 

 

 

学生生活が終わり体質も変わってきたのか、一晩でも徹夜すると翌日は全く役に立たない廃人と化すようになりました。

そのせいで色々と人に迷惑をかけるなど失敗をしてきたので、無理をしないための計画性の大切さを、いい大人になってやっと思い知り今に至ります。

 

 

 

ただ、絵描きの場合は計画を立てるにも限界があるのです。

きっちりと順序立てて期限までに余裕を持って描くことで作品はしっかり完成するでしょう。しかし良い作品ができるかどうかは全く別問題なのです。

締め切りが迫っているのに良いアイデアが浮かばず、どうにか捻り出しギリギリに完成させたことによって作品にある種の熱が込められることもあります。

絵描きに限らず、漫画家も小説家もコピーライターも音楽家もおそらくそうです。

何でもかんでも逆算して破綻も起こさずピンチも迎えずに仕事を行っていると、制作活動が単なる作業と化していくでしょう。そしてそれは鑑賞者、受け取る側に伝わってしまうものです。完成度を上げることはできても作品の価値を下げてしまうことに繋がりかねません

 

計画の大事さもわかりつつ、それでも破綻とピンチに臆さずにありたいものです。

 

 

 

とまぁ、計画立てが下手くそなことに対する免罪符でもありますが。

 

 

 

 

久々の大学訪問

 

 

 

先日、仕事の関係で出身大学に行ってきました。

去年の秋頃に一度訪れているので久々と言えるか分かりませんが。

 

僕が院を修了したのが4年ほど前。もちろん学生の顔ぶれは一新しているのですが、僕の同期が助手をやっていたり、研究室の先輩が非常勤講師を務めていたりと、どうやら顔見知り達が大学に戻ってきているタイミングのようです。

 

 

 

同期の中には既に作品が売れまくっている人海外で活躍している人学部1年の時から美術作家デビューをしておりキャリアを積み続けている人などもいます。

僕も作家デビューは学部の最後の方だったので比較的早い方だとは思いますが、果たして当時と比べて何か変わったのか?作家として尊敬されるような存在になっているのかと疑問に思いながら日々制作をしています。

 

現在在学している学生達も大変意欲的で、レベルの高い顔ぶれが揃っていることでしょう。

彼らからすると僕は当然先輩であり、大学に入る前から僕の作品を知っていたという人も中にはいるかも知れません。

しかし僕はたとえ彼らと直接話す機会があったとしても先輩風を吹かすことができません。まぁもともとの性格も理由の一つですが、やはり尊敬に値する人物像になれている気がなかなかしないのです。

 

 

 

突然売れっ子になって天狗になるのも嫌ですが、先輩として後輩に手本を示すことは務めであると思うので、後に続く人に提供するためにもっとたくさんのことを吸収しなければならないと、母校を訪れてそんなことを感じました。

 

そのための人脈を築くためにもまずは付き合い下手を直すところから努力しなければ…

 

 

 

 

雨の日に聴く曲④

 

 

 

雨の日に聴く曲シリーズ、今回をラストにしようと思います。考え始めるとあれもこれもと紹介したくなってくるので。

 

以前の記事

雨の日に聴く曲① - 副工場長のオフィス

雨の日に聴く曲② - 副工場長のオフィス

雨の日に聴く曲③ - 副工場長のオフィス

 

 

 

 

Kim Hiorthøy / Evil House,Evil Day

 

以前にも紹介したKim Hiorthøyからもう一曲ご紹介。(ちなみに読み方はキム・ヨーソイ

セカンドアルバムに収録されたこの曲は、彼の真骨頂である“記憶の底を弄る”系の楽曲である。

①の投稿で詳しく書いたので省略するが、なぜか幼い頃に聞いたことのあるような音が満載で心がざわつくのだ。

 

保育園から帰ってきて、夕飯までの空白の時間を一人遊びしながら過ごす雨の日の憂鬱。

風邪で小学校を休んだ日の午前、テレビ番組もつまらなくなってきた時間帯に挟まる謎のCMソング。

そういったことを思い出させる。

 

この曲の後半に本物の雨音っぽい音声がサンプリングされていることもあってか、なんとなく雨の日の印象が強い。

 

 

 

 

荒井由実 / 雨の街を

 

1973年リリースのファーストアルバム「ひこうき雲」に収録された、ユーミンの初期の名曲。

タイトルの通り、雨の曲である。

この曲をしっかり認知したのは数年前なのだが、雨の時期には必ず定期的に聴くようになった。

メロディーと歌詞の美しさはもちろんのこと、前奏のピアノの旋律が非常に雨っぽく美しく、濡れたアスファルトにヘッドライトや曇り空が映り込む様子が鮮明に頭に浮かぶ。

夏が終わり秋に差し掛かった頃の、突然の夕立ちにびしょ濡れになりながらこの曲を聴き、トボトボと家路に着きたいと、聴くたびに思う。

まぁ濡れるのが嫌なので確実に傘はさすのだが。

 

この曲をたまにカラオケで歌うのだが、ユーミン独特のあの虚ろな感じがどうしても出せないのだ。お涙頂戴感は一切無く、かといって決して明るくはない、絶妙な仄暗さが歌えるようになりたいものだ。

 

 

 

 

雨の日に聴く曲③

 

 

 

今週のお題は変わってしまいましたが、引き続き雨の日に聴く曲のご紹介をいたします。

今回はUKロックバンドで揃えてみました。

 

以前の記事

雨の日に聴く曲① - 副工場長のオフィス

雨の日に聴く曲② - 副工場長のオフィス

 

 

 

 

Thirteen Senses / Gone

 

2005年リリースの彼らのファーストアルバム「The Invitation」に収録された楽曲。高校2年生の悶々とした時期にたまたまCDショップで視聴して惚れ込んだ1枚。

収録曲のほとんどがマイナーコードで、物悲しいバラードの数々で構成されている。作詞作曲はボーカルのウィルが担当しており、それまでの人生の半分ほどを費やし書きためた楽曲を厳選してファーストアルバムが作られたそう。

幼少期からマイナーコードの曲が好きだった僕にとってはたまらないアルバムだった。

1曲目から泣かせにくるような選曲になっており、イギリスならではの透明感がメロディーにも演奏にも歌声にも表れている。

高校生なりに、人間関係や自分へのコンプレックスなど日々の鬱憤に苛まれていた時期が誰にもあったことと思う。その当時のメンタリティーにすっと馴染む浸透圧と優しさと悲しさが詰め込まれた楽曲群なのだ。

Gone」という曲はその中の3拍子のバラードで、アルバム内では比較的存在感の薄い曲である。しかしこれがまた絶妙に物悲しく雨模様の心情にピタッとくるのだ。3拍子というのは自分にとっては雨のリズムなのかもしれない。

 

 

 

 

TRAVIS / Somewhere Else

 

2003年リリースのアルバム「12 Memories」に収録されている曲。

TRAVISといえば僕の大好きなRadioheadとともに90年代のUKロックを牽引したうちの1組ともいえるバンドである。僕が初めて聴いたのがこの「12 Memories」というアルバムで、これもTSUTAYAのCDレンタルでたまたま視聴したのが出会いだった。キャッチーでメロディアスな楽曲が彼らの特徴なのだが、それ以前のオリジナルアルバムとは一線を画すほどになんとも寂しいメロディーに満ち溢れた1枚だと感じ、即レンタルし聴き込んだ。

 

その当時は高校3年生の冬、最初の大学受験の時期であった。

大学受験の厳しさをなんとなく肌に感じていた時期に出会ったため、かなりシリアスな印象がこのアルバムの一曲一曲に刷り込まれている。

経験不足ゆえに予備校での制作が思うように成長しない日々を過ごし、私大受験で惨敗を期したことでさらに自信を無くしていった。

第一志望の一次をたまたま運良く通過し、続く二次試験の結果発表の会場で自分の番号がないのを確認し、この曲を聴きながら予備校に帰った。したがって、この曲は自分の甘さを思い知らしめた曲としてインプットされたのだった。

 

思い出の曲がネガティブで物寂しいものばかりというのはなんとなく虚しさを催すが、その虚しさこそが雨天の心情に近しいものなのだろう。

この「Somewhere Else」は伴奏の鉄琴(?)が雨音を思わせ、そこまで暗い曲調でもないがいつまでも晴れ間の見えなさそうなどんより具合が印象的で、このアルバム内でも特に雨の日のリピート率が高いのだ。

 

 

 

 

雨の日に聴く曲②

 

 

 

今週のお題「雨の日の過ごし方」

 

 

 

いまいち、梅雨なのかそうじゃないのかはっきりしない今日この頃ですが、今回も今週のお題から派生して雨の日に聴く曲をご紹介したいと思います。

 

前回の記事

雨の日に聴く曲① - 副工場長のオフィス

 

 

 

 

Little People / Unsaid

 

こちらは大学院生だった頃にiTunesサーフィンをして見つけたアーティスト。

僕は自分にしっくりくる音楽を手当たり次第に探すことがよくある。

 

Mickey Mouse Operation」という彼らのオリジナルアルバムに収録されている楽曲で、アルバム全編を通して夜の空気を纏っている感覚がある。音楽のジャンルは何とも言い難く、エレクトロニカなのかラウンジなのかテクノなのか。基本的にはドラムやピアノなどの生音に加え様々なジャンルの音楽をサンプリングして構成されていて、ベートーベンの「月光」を使用している曲もある。

「Unsaid」はこのアルバムの中でも特にグッタリとした湿度のある楽曲で、雨の夜によく馴染む。聴くとどうしてもジトジトした都市の疲労感を思い浮かべてしまい、新橋や神田あたりの雑居ビル街の室外機からゆるゆると流れ出たぬるい空気が、湿った道路を低空飛行したのちに夜空に溶けていく様子を妄想してみたりする。

途中から女性のボーカルが加わるのだが、メンバーなのかゲストボーカルなのか。他の曲にもその声は出現するのでおそらくサンプリングではない。

 

しかし彼らの情報になかなかたどり着けず、そもそも“彼ら”なのかすらよくわかっていない。

一応Apple Musicでは聴ける。

 

 

 

 

安全地帯 / 恋の予感

 

玉置浩二がボーカルを務めるバンド、安全地帯のヒット曲である。

1984年リリース、僕はまだ生まれていない。

玉置浩二と言えば1996年リリースの「田園」のイメージだった。小学校低学年の時に大ヒットし、借りたシングルCDをカセットに録音したものを死ぬほど繰り返し聴いたが、その頃からも一応、安全地帯というバンドをソロ活動以前から組んでいたことは何となく知っていた。

しかし安全地帯の曲には幼少期から触れていたようだ。かなり小さかった頃にテレビCMで使われていた曲が頭に残っており、大人になってからそれが安全地帯の曲だったことを知った。

 

もともと昭和の歌謡曲のカセットを親に聴かされて育ったため馴染みが深いが、大学に上がったあたりから再び歌謡曲を聴くようになり、安全地帯もその頃から好きになった。

物心ついた頃にはすでにおじさんだった玉置浩二のアクの抜けたポジティブな魅力とは全く異なる、青臭く尖った楽曲がとにかく良いのだ。

華やかな時代の裏側の冷めた空気。夜を走る車での無言の時間、その車窓に流れていく夜景。ビールと汗と香水の匂い漂う繁華街。

あぁ、憧れの風景である。

 

「恋の予感」は3拍子のリズムが特徴的で、当時の都会の空気そのものを描いたような、美しいメロディーと歌詞の曲である。Aメロでキーボードが刻む3拍子がどことなく雨を連想させるので、梅雨の時期に合う気がする。

これに似た3拍子のリズムの曲で「微笑みに乾杯」というこれまた良い曲があるのだが、やはり都会の虚しさを纏った「恋の予感」を今回は推したい。

 

 

 

 

 

雨の日に聴く曲①

 

 

 

今週のお題「雨の日の過ごし方」

 

 

 

初めてお題を取り入れてみました。

 

 

 

僕は雨が嫌いです。

とにかく靴が濡れるストレスに耐えられない。

ここ数年はレインブーツを愛用しているのでそれも少なくなりましたが、レインブーツとて完璧ではない。履き続けていれば古くなって浸水してきます。

 

そして

平安時代の頃から雨対策といえば傘です。数ある日用品の中で1番進化が遅い道具なのではないでしょうか。そろそろ画期的な雨避け方法が開発されてもいいのでは?と思ってしまいます。

 

湿気も苦手です。髪がボサボサになるし、湿度が高いと何となくグッタリして、1日の疲労度が上がる気がします。

洗濯物も乾かないし。

 

 

 

しかし雨の日の陰鬱さは嫌いではありません。

一日中外の景色が青白く、人々の感情もどことなく冷めている気がして、自分もスッと冷静な心持ちでいられます。

 

 

 

普段僕は制作中や移動中はお気に入りのラジオ番組やPodcastを聴いて過ごすことが多いのですが、雨の日は音楽を聴く頻度が増します。

雨の日の憂鬱さを吹き飛ばしたいという人は晴れやかな曲を聴くのでしょうが、僕は憂鬱な気分に浸るために憂鬱な曲を聴いてしまいがちです。

 

 

 

というわけで、今回から数回に分けて雨の憂鬱に浸れる曲をご紹介します。

 

 

 

 

 

Kim Hiorthøy / Träbit

 

大学1年の時にTSUTAYAのCDレンタルコーナーでたまたま見つけたエレクトロニカ系のミュージシャン。ノルウェー出身で、楽曲制作のみならず様々な芸術分野で才能を発揮しているそう。

彼の音楽に通底するのは「幼い頃の記憶の断片」である。楽曲に使用されるレトロでマニアックな電子楽器の数々が独自の音世界を構成しているのだが、「小さかった頃にどこかでこの音を聞いたことがある」と錯覚させる不思議な力を持っている。おそらくそれは彼自身の記憶の断片でもあるのだろう。

日本から遠く離れたノルウェーの地で同じ音を聞いていたのだとしたら、人は土地や文化に関わらず似たような感覚で幼少期を過ごし、同じ音に反応し記憶する生き物なのかもしれない、などと考えてしまう。

 

このTräbitという曲は彼の最新アルバムの一曲目に収録されているもので、ピアノをメインにした楽曲である。このアルバム自体がピアノの旋律をフィーチャーしており、これまでの作風からは一線を画した内容となっている。以前までの謎の電子楽器をほとんど使用していない分、幼い記憶を弄られる感覚はやや薄めなのだが、微妙に調律のずれたピアノがアルバムの中で何度か使用されていたり、同じフレーズを弾いては途切れ、また繰り返すあたりに「ピアノのお稽古感」「バイエル暗譜感」があり、懐かしくも物悲しい気分になる。

 

 

 

 

AIR / Alone In Kyoto

 

以前にも紹介したAIR(エール)。

こちらは2004年発売のアルバム「Talkie Walkie」に収録された楽曲であり、ソフィア・コッポラ監督の映画「ロスト・イン・トランスレーション」の挿入歌でもある。

タイトルの通り、映画内でスカーレット・ヨハンソンが一人小雨降る京都の神社を散策するシーンで使用され、非常に印象的だった。

しとしとと雨音だけが聞こえる緊張感、空気の冴え渡る感覚がよく表れていると感じる。

雨の憂鬱に合うというよりは、雨のもたらす静けさにぴったりマッチするといった印象か。

 

そう思い、映画を見返してみたところ、そのシーンでは雨など一滴も降っていなかった

スカーレット・ヨハンソンが神社ですれ違った花嫁行列が大きな朱傘をさしていたのが何となく雨の印象に結びついたのかもしれない。しかし曲を聴くとどうも小雨の風景が思い浮かぶのだ。

勝手な解釈だが、おそらく日本=雨というイメージが彼らの中に強くあるからではないかと思う。他の楽曲にも、和楽器を取り入れたり日本古来のメロディーラインを彷彿とさせるものがあり、日本の音楽だけでなく情景や気候にも思い入れを持っているのかもしれない。

 

 

 

本日はここまで。

紹介したい雨の日の曲がまだまだあるのですが、どうにか絞って紹介していきます。

次回も何卒。

 

 

 

 

橋脚

 

 

 

男児には「電車期」というものが存在します。全員ではないのですが、電車やSL、新幹線などの鉄道に夢中になる時期を多くの男児は経験します。(電車期は勝手に作った造語です。)

 

御多分に洩れず僕も3歳頃から「電車期」が始まりました

鉄道の路線の名前を覚えてみたり、鉄道の写真がたくさん載っている絵本を読み聞かせてもらったり、新幹線に出くわすとテンションMAXで騒ぐといった期間がありました。

思うに、いわゆる鉄ちゃんはその「電車期」が終わらなかった人なのでしょう。

 

 

 

僕は自分の「電車期」の終わりをよく覚えています。

それまで新幹線を追いかけ回していたはずなのに、気付くと僕は新幹線が通る鉄橋になぜか大興奮していました。

 

数メートル上空にそびえる鉄のアーチを見かけては、一緒にいた父親に大声で報告していた記憶があります。

造形美を感じ取っていたのではなく、その重厚な質量にときめいていたような気がします。

それまで騒いでいた新幹線がすっぽり通ってしまうほどの圧倒的なデカさ。しかもそれが空中に渡されているのです。

思い返すと、僕のインフラ構造物好きはなかなか年季が入っています。

当時の友達に鉄橋の魅力をアピールしても彼らには全く響きませんでした。

まぁそれは今も変わらないのですが。

 

 

 

今でも鉄橋は好きですが、特に橋脚に目が行ってしまいます。橋脚とは鉄橋や高速道路を支える柱の部分です。

 

都市風景の中には謎の巨大人工物がいくつも隠れています。普段はそれぞれが都市の機能を担っていることで日常風景に溶け込んでしまっていますが、機能を奪ってしまえばたちまちそれらは巨大でシュールなオブジェに見えてくるはずです。

 

 

 

僕の橋脚コレクションの一部です。

ぜひ、その上に乗っている線路や道路がない状態を想像してご覧ください。

 

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新幹線の線路を支える橋脚。

コンクリート製でかなり古く、雨ざらしの跡が年月を物語っています。

 

 

 

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高速道路の橋脚。

線路も道路もこのT字の形が一般的なようです。

 

 

 

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最近はこのようなY字のものもたまに見かけます。

T字のものと比べるとこちらの方が何となく軽やかな印象を受けますが、僕はT字の重そうな感じの方がグッときます。

 

 

 

高速道路や高架橋の建設現場でははじめに橋脚の建設から行うので、橋脚だけが遠くまでズラリと建ち並んでいるシュールな光景が見られます。それこそ「機能を奪われた状態」であり、なかなか非日常的で壮観な景色です。

以前、新木場の方でその景色に遭遇したのですが、パソコンのどこにその時の写真を保存したかわからなくなってしまいました。悔しい。