映画「シックスセンス」を振り返って。
皆さまご存知、映画「シックスセンス」についての、今更ながらの考察をしてみたいと思います。
言わずと知れたホラー映画兼ヒューマンドラマとしての金字塔、そしてハーレイ・ジョエル・オスメント君と監督のM・ナイト・シャマランの出世作としてあまりにも有名な作品です。
ご覧になった方、まだご覧になっていない方いらっしゃると思いますが、この映画にどのような印象をお持ちですか?
僕がこの映画を最初に観たのは中学1年の時。冬休みの宿題として洋画のセリフをリスニングするという課題のために観た一本でした。
英語のセリフさえ聞き取れれば課題クリアだったのですが、ストーリーに引き込まれてリスニングどころではなくなったのを覚えています。
それまでにホラー映画はいくつも鑑賞してきましたが、観る者を怖がらせることが一番の目的ではない、そんなホラー映画を観たのは初めてでした。
映画のメインキャラクターで、いじめられっ子の少年は、とある重大な悩みに苛まれて生きています。
それは"幽霊が見えてしまう"ということ。
日常的に目の前に幽霊が現れ、怖がらせたり何かを訴えながら痛々しい姿で少年に迫ります。
映画の大部分はこの幽霊のおどろおどろしさが描かれています。
しかし少年はその幽霊たちの心に気づきはじめます。
それは、今は恐ろしい姿の幽霊でも、生前の後悔や人間としての切なる想いを持ち続けているということ。
少年は幽霊たちの心に触れ、彼らの想いに応えるために行動を起こします。
映画の前半では幽霊に少年が恐れる描写がメインになりますが、後半では一転して少年が幽霊たちに理解を示します。
幽霊=恐怖
この構図を主人公の少年が覆す、これがこの映画の肝なのです。
それに加え、ストーリー上で最もキーになってくる展開がありますが、一応その部分はここでは語りません。
冒頭で、主演のブルース・ウィリスに「この映画にはある秘密が描かれています、この秘密を友人などに話さないで下さい」
的なお願いをされたので、結構前の映画ではありますが言う通りにしたいと思います。
タイトルの「シックスセンス」が意味する「第六感」について考えてみました。
ホラー映画という部分に重きをおくと、やはりそれは幽霊が見えてしまう不幸な能力を第六感と捉えることができます。
しかし後半の、幽霊の心の有様に寄り添う少年、という部分に焦点を当てると、たとえ幽霊になっても抱き続ける心の痛み、孤独に気づくことができる視点。たとえ自分とは違う存在に思えても固定観念抜きで共感ポイントを見出せるその姿勢が「第六感」だと考えることができるのです。いじめられっ子で常に孤独や疎外感を抱えている少年だからこそ獲得できたものなのかもしれません。
現代社会において偏見がもたらす負の連鎖はあらゆる場面で不幸を生み出しています。この映画を改めて鑑賞すると、自分や社会がいかに刷り込みの常識の上で成り立っているかを再確認させられる気がするのです。
いままで怖かったはずのものが視点を変えることで愛おしくなる。
嫌いだったはずのもののいい面に気づく。
そんな「第六感」が現代には欠けていませんか?
そう問いかけてくるような映画です。