副工場長のオフィス

ちなみに私は副工場長ではありません。

映画「ブラインドネス」

ジュリアン・ムーア主演の問題作、パニックムービーのようでヒューマンドラマのようでもある、不思議な味わいの映画です。

 

とある男性(伊勢谷友介)が唐突に両目が見えなくなり、パニックに陥ります。両目が失明する感染症を患った彼は、自分の妻、身の回りの人々にその病を感染させ、あらゆる人々に症状が広がっていきます。そんな中、眼科医を営む男性にも失明の症状が感染し、その妻(ジュリアン・ムーア)は夫に付き添い隔離病棟に付き添います。しかし不思議なことに、隔離病棟で夫を含めた感染者たちとどれだけ近距離で接しても、彼女には失明の病が感染しないのです。彼女しか持ち合わせない免疫のようなものが備わっているのか、あるいは別の理由なのか、最後まで明かされません。

 

失明した人々の世話役として、目が見えるままの彼女は病棟内での生活の様々な面倒を一人でこなし始めます。

 

彼女は敢えて自分が失明していないことを夫以外に明かしていませんでした。自分以外の患者は全員盲目の中で日々を過ごします。

しかしそんな中で人々の上に立とうとするものが現れます。(ガエル・ガルシア・ベルナル

独裁的な彼の脅しに従い、食料は管理され、女性たちは身体を差し出します。

失明患者の隔離病棟生活にも、権力を求めるものが現れ、ヒエラルキーが形成されていくのです。視力と日常生活を失い、独裁者に従う様子を、主人公の彼女は一人その両目で見届けます。

人がどれだけ視覚を頼りに生活しているか、そして人間社会とは何か。

もしかするとその独裁者も、失明する前は至って普通の心優しい青年だったかも知れません。環境が大きく変化し、それまでの自分の社会的な立場から突然解放されると、タガが外れたように権力を求め始める人間も少なくはないのでしょう。

 

視力を失うことで病棟に監禁され、しかしそこで新たに得た生活環境のなかで寧ろ解放されて新たな社会ができた時、人を支配しようとする者とそうしない者の違いは何なのか。

この映画では人間社会と人の心理の一番プリミティブな部分が描かれています。