副工場長のオフィス

ちなみに私は副工場長ではありません。

(ネタバレ注意)映画「テラビシアにかける橋」②

前回に引き続き「テラビシアにかける橋」について。

前回はあらすじ紹介でしたが、今回は内容分析です。映画の登場人物の心情や、この映画で何を伝えたかったのかを僕なりの視点で考察していきます。

 

前回の記事

(ネタバレ注意)映画「テラビシアにかける橋」① - 副工場長のオフィス

 

 

原作はアメリカの児童文学として世界的な人気を博し、今作を含め2度映画化されている。
ジェス役を演じたのは「ハンガー・ゲーム」シリーズのジョシュ・ハッチャーソンレスリー役は「チャーリーとチョコレート工場」や「ソウル・サーファー」に出演するアナソフィア・ロブ。2人とも子役時代から人気作に出演する実力派俳優である。
特にジョシュ・ハッチャーソンの演技が凄い。劇中で難しいセリフまわしや感情を激しく吐露する場面はほとんど無いが、ふとした表情やセリフの合間に役の人間性がしっかり表れている。セリフだけでなくその行間の余白の部分で役を演じられる役者は、あの年ではなかなかいないのではないだろうか。

 


この映画では「心の目を開く」ということが大きなテーマになっている。目で見えているものにとらわれず、感情も思考も解放することで新しい世界が開ける、見えなかったものが見えてくる。レスリーと共に過ごす中でジェスはそれを学んでいくのだ。

ジェスの家庭は兄弟が多く、金銭的な余裕が全くなかった。運動靴は姉のお下がりで、ピンクの装飾をマジックで黒く塗りつぶして使っていた。しかし長男という立場も担っており、姉達には逆らえず妹よりもずっと厳しく育てられてきた。父親はジェスに「夢ばかり見てないで現実を見ろ。」と、家事のいくつかをジェスに担わせている。一方、妹のメイベルは家族の誰からも愛され甘やかされているので、ジェスにとって一番の嫉妬の対象なのだった。
学校では貧乏が原因でからかわれ、いじめられ、友達がいなかった。学校でも家でも孤独を抱える中、新しくできた唯一の友達レスリーと、彼女のおかげで築き上げることができたテラビシアが唯一の心の拠り所だった。

 

知り合った当初、彼らにとってテラビシアは現実から逃げ込むための秘密基地だった。夢の世界の王国で、王と女王としてのひと時を楽しむ場であった。しかし月日が経つにつれ、学校のいじめっ子を空想のモンスターに見立ててそれを退治する遊びを始め、まるで日常の悩みを解決するための訓練所のような場になっていく。2人にとっての現実逃避の地はやがて、現実と向き合うための場になっていったのだ。

 

そんな中、レスリーが事故で死んでしまう。

親友を失うということは小学生にとっては当然受け入れ辛い事態で、思ったことがなんでも叶う夢の世界に没頭していたジェスにとっては、受け入れるのが非常に困難だったはずだ。劇中では、レスリーの葬儀の場で彼女がまだ生きているかのように振る舞うジェスがとても痛々しい。

 

 テラビシアにおいて重要なアイテムが、川の上に垂れ下がる古びたロープである。ジェスとレスリーがたまたま見つけ、それを使って川を渡りテラビシアにたどり着く。現実とテラビシアを結ぶ唯一の道が、この頼りないロープなのだ。

レスリーの事故によってジェスは、テラビシアに導いてくれたレスリーという存在、そしてテラビシアに行くためのロープを失う。テラビシアへの唯一の道が断たれたばかりか、レスリーが死んでしまったことでテラビシアそのものが消え失せてしまったのだ。

やがてレスリーの死を実感したジェスは、いつものようにからかってきたいじめっ子に、真っ向から暴力を振るってしまうほど不安定な状態になってしまう。

 

しかし父親からの慰めの言葉もあって、ジェスはレスリー亡きあと、レスリーがもたらした様々なものを守っていく決意をする。そしてテラビシアとを隔てる川に橋をかけるのだった。それは、レスリーと共に築いた夢の国への道が二度と塞がれることのないように、そして二度と誰も川に落ちることのないようにという願いが込められている。

また、もともとあったロープはレスリーが最初に見つけたもので、その先の森でテラビシアの空想話を始めたのも彼女だった。一度断たれたテラビシアへの道を、ジェスは橋という形で完成させた。ここには、レスリーが作り上げたテラビシアをジェスが引き継ぎ、完成させた、という意味が込められているように思う。

そしてレスリーがもたらしたものを守り、受け継ぐ決意をしたジェスは、妹のメイベルをテラビシアに招き入れる。今まで妹の立場に嫉妬し、テラビシアでの遊びにも混ざることを決して許さなかったが、ジェスはここで大事なものを他者と共有することを学んだのだ。また、レスリーの死を乗り越え、兄として、1人の人間としての成長を描いた場面である。

 

劇中に幾度か出てくるセリフ、「心の目を開くことが大切。」

 前述した通り、見えるもののみに捉われないこと、童心を忘れないこと、という意味である。しかし映画全体を振り返って考えると、「自分の置かれた現実に目を向け、受け入れること」という真逆の意味も立ち上がってくる。また、レスリーと心を通わせ、最後にはメイベルをテラビシアに招いたことから、「他者に心を開く」「他者の心情に目を向ける」という意味合いも伺える。

現実から空想の世界に逃げ込んできたジェスが他者に心を開くようになり、レスリーの死を受け入れ成長し、大人へと前進しながらも童心を大切に生きていく。

この映画で伝えたいことは、厳しい現実と向き合うための強さや優しさ、そして大人たちが忘れてしまった子供心の煌めき、その両方が人には必要だということ。そして自分の殻に閉じこもらず他者に心を開くということの大切さである。「心の目を開くことが大切。」この一文にその全てが込められているのではないだろうか。

 

大人のためのファンタジー映画

このような謳い文句で同時期に2本の映画が日本公開され、その一本がこの作品であった。そしてもう一本はギレルモ・デル・トロ監督の「パンズ・ラビリンス」である。この作品もお気に入りなので今後紹介したい。

全く趣きの異なる2作品だが、子供の感性を繊細に描きだすという点は「テラビシアにかける橋」に通ずる部分である。

 

大人として現実と向き合うために切り捨ててしまった童心の部分が、誰にも少なからずあるだろう。

日々の仕事の鬱屈や、日常生活でのやり切れなさを抱えている大人たちには是非、この映画を観ながら子供だった頃を振り返ってみてほしい。