副工場長のオフィス

ちなみに私は副工場長ではありません。

美大受験

 

 

 

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僕は美大出身です。

 

高校は美術系に進み、その後なんとなく後戻りできないような気がして、その流れで美大受験を決め、美大受験専門の予備校に通い始めました。

 

 

 

当時も今もですが美大受験の世界はなかなか過酷で、トップ校に合格するには10倍〜30倍という倍率の壁を乗り越えなければなりませんでした。

 

そして僕が選んだ専攻は美大の中でも1番「答え」のないところでした。

学力の試験であれば設問には基本的に「答え」が存在します。

しかし僕の専攻に求められるものは、いわば大喜利」力。爆笑を取る必要はもちろんありませんが、絵で大喜利問題に答えた上で、審査員を感動させなければいけないのです。

 

 

 

僕は少々長めの受験生期間を過ごし、その期間に死ぬほどたくさんデッサンを描きました

ただ絵が上手いだけでは受からない。

見る者を楽しませるエンターテイナー的な作り手を目指さなければならない。

大学合格者でありながら、すでにアーティストでなければならない。

そしてそれが、試験当日に描いた一枚の絵で決まる

そういう世界です。

 

 

 

精神のバランスを崩す人、志半ばで道を断念する人、第一志望一本で何年も何年も受験を続ける人、色々な形の受験を見てきました。

 

しかも仮にその難関を突破し合格できても、それはスタート地点にすぎません。

大学では受験燃え尽き症候群の同期が何人もいました。

 

そして卒業した先、絵で食っていける保証は全くありません。作品の売り上げだけで生計を立て、家族を養える人などほんの一握りなのです。

 

 

 

こう振り返ってみると、とんでもない苦労をしてとんでもない道に進んでしまったなと、つくづく思います。

それでもまぁ、今のところ絵が好きで、細々とですがこれまでやってこられたので、もうちょっと続けてみます。

 

っというおはなしでした。

 

 

 

画像は浪人時代の鉛筆デッサンの一部分。林檎のドアップです。

伸び悩んで苦しかった時期のものです。

よく描けてるとは思いますが、こいつ心に余裕ねーな、といった印象ですな。

でもまぁこのお陰で絵を仕事にできるようになったんだし、頑張って正解だったかな。