副工場長のオフィス

ちなみに私は副工場長ではありません。

雨の日に聴く曲①

 

 

 

今週のお題「雨の日の過ごし方」

 

 

 

初めてお題を取り入れてみました。

 

 

 

僕は雨が嫌いです。

とにかく靴が濡れるストレスに耐えられない。

ここ数年はレインブーツを愛用しているのでそれも少なくなりましたが、レインブーツとて完璧ではない。履き続けていれば古くなって浸水してきます。

 

そして

平安時代の頃から雨対策といえば傘です。数ある日用品の中で1番進化が遅い道具なのではないでしょうか。そろそろ画期的な雨避け方法が開発されてもいいのでは?と思ってしまいます。

 

湿気も苦手です。髪がボサボサになるし、湿度が高いと何となくグッタリして、1日の疲労度が上がる気がします。

洗濯物も乾かないし。

 

 

 

しかし雨の日の陰鬱さは嫌いではありません。

一日中外の景色が青白く、人々の感情もどことなく冷めている気がして、自分もスッと冷静な心持ちでいられます。

 

 

 

普段僕は制作中や移動中はお気に入りのラジオ番組やPodcastを聴いて過ごすことが多いのですが、雨の日は音楽を聴く頻度が増します。

雨の日の憂鬱さを吹き飛ばしたいという人は晴れやかな曲を聴くのでしょうが、僕は憂鬱な気分に浸るために憂鬱な曲を聴いてしまいがちです。

 

 

 

というわけで、今回から数回に分けて雨の憂鬱に浸れる曲をご紹介します。

 

 

 

 

 

Kim Hiorthøy / Träbit

 

大学1年の時にTSUTAYAのCDレンタルコーナーでたまたま見つけたエレクトロニカ系のミュージシャン。ノルウェー出身で、楽曲制作のみならず様々な芸術分野で才能を発揮しているそう。

彼の音楽に通底するのは「幼い頃の記憶の断片」である。楽曲に使用されるレトロでマニアックな電子楽器の数々が独自の音世界を構成しているのだが、「小さかった頃にどこかでこの音を聞いたことがある」と錯覚させる不思議な力を持っている。おそらくそれは彼自身の記憶の断片でもあるのだろう。

日本から遠く離れたノルウェーの地で同じ音を聞いていたのだとしたら、人は土地や文化に関わらず似たような感覚で幼少期を過ごし、同じ音に反応し記憶する生き物なのかもしれない、などと考えてしまう。

 

このTräbitという曲は彼の最新アルバムの一曲目に収録されているもので、ピアノをメインにした楽曲である。このアルバム自体がピアノの旋律をフィーチャーしており、これまでの作風からは一線を画した内容となっている。以前までの謎の電子楽器をほとんど使用していない分、幼い記憶を弄られる感覚はやや薄めなのだが、微妙に調律のずれたピアノがアルバムの中で何度か使用されていたり、同じフレーズを弾いては途切れ、また繰り返すあたりに「ピアノのお稽古感」「バイエル暗譜感」があり、懐かしくも物悲しい気分になる。

 

 

 

 

AIR / Alone In Kyoto

 

以前にも紹介したAIR(エール)。

こちらは2004年発売のアルバム「Talkie Walkie」に収録された楽曲であり、ソフィア・コッポラ監督の映画「ロスト・イン・トランスレーション」の挿入歌でもある。

タイトルの通り、映画内でスカーレット・ヨハンソンが一人小雨降る京都の神社を散策するシーンで使用され、非常に印象的だった。

しとしとと雨音だけが聞こえる緊張感、空気の冴え渡る感覚がよく表れていると感じる。

雨の憂鬱に合うというよりは、雨のもたらす静けさにぴったりマッチするといった印象か。

 

そう思い、映画を見返してみたところ、そのシーンでは雨など一滴も降っていなかった

スカーレット・ヨハンソンが神社ですれ違った花嫁行列が大きな朱傘をさしていたのが何となく雨の印象に結びついたのかもしれない。しかし曲を聴くとどうも小雨の風景が思い浮かぶのだ。

勝手な解釈だが、おそらく日本=雨というイメージが彼らの中に強くあるからではないかと思う。他の楽曲にも、和楽器を取り入れたり日本古来のメロディーラインを彷彿とさせるものがあり、日本の音楽だけでなく情景や気候にも思い入れを持っているのかもしれない。

 

 

 

本日はここまで。

紹介したい雨の日の曲がまだまだあるのですが、どうにか絞って紹介していきます。

次回も何卒。