副工場長のオフィス

ちなみに私は副工場長ではありません。

映画「ミスト」

スティーヴン・キング原作、嵐が過ぎ去ったとある町が舞台のパニックミステリー映画である。

湖のほとりの自宅から買い物をしに町の中心部を訪れたデヴィッドとその息子。いつものようにスーパーマーケットで買い物をしていたところ、突然窓の外が濃い霧に満たされ、地震のような揺れに襲われる。突然の事態にスーパーの客全員が硬直し困惑する。すると入り口から血を流した男が店内に飛び込んできた。「この霧の中には何かいるぞ!」その言葉にスーパーの客たちは一層不安を募らせる。

 

デヴィッドは店の裏口を調べる。するとシャッターの向こうに何かの気配を感じ取る。風ではなく、明らかに人ではない何かがシャッターを揺らしている。スーパーのスタッフ数人にそれを伝え再び裏口に戻るが、スタッフたちは全くデヴィッドの話を信じようとしない。すると若い店員がデヴィッドの反対を押し切りシャッターを開けてしまった。シャッターの一寸先は真っ白な濃霧。次の瞬間、巨大な触手のようなものが現れ、若い店員に襲いかかった。その場にいた者たちはどうにか触手を振りほどこうとするが、若い店員はそのまま霧の中に引きずり込まれてしまった。

 

信じがたい事実を店内の客に伝えるデヴィッドたち。恐怖に顔を硬ばらせる客たち。しかし全くデヴィッドたちの話を信じず、悪い嫌がらせだと怒号を飛ばす客たちがいた。彼らは自分の足で助けを求めに行くと店を出て行く。

 

得体の知れない濃霧と、その中に潜む異形の怪物。スーパーに取り残された客たちはその恐怖の中で身を寄せ合いながら、助かる術を探す。

しかし、極限の恐怖は人々の理性を狂わせ、助け合っていたはずの人々は次第に分裂し、ぶつかり合うようになってしまう。

果たして彼らは無事に生き残ることができるのか。

 

 

あと味の悪い映画として頻繁に名前が挙がるこの作品。グロテスクな映像表現もさる事ながら、恐怖の中で人としての判断力を失った人々の常軌を逸した行動、ストーリー展開やラストに待ち受ける結末など、様々な要素がいわゆる娯楽映画の「お決まり」から逸脱しており、非常に心がざわつく。

非日常的、危機的な状況に置かれた人々の心理や常識がいかに脆いものかを描くという点においては、以前紹介した「ブラインドネス」のテーマと通底する部分である。どちらの作品も「悪者」的な人物が登場することによって人々の結束を乱し、弱者と強者の派閥を生み、法に触れるような蛮行が正当化される。

しかし「ミスト」ではこの蛮行の描かれ方が微妙に異なる。

 

事の発端は同じスーパーに来ていた信心深い女性が「これは神の意志よ。」と、この不可解な出来事を聖書の黙示録の内容になぞらえたことに始まった。頭のおかしな宗教おんなと言われていた彼女の言うことを、はじめは誰も信じなかった。しかし彼女の話す黙示録の内容と酷似した出来事が次々に起こるのだ。次第に人々は彼女をシャーマンのように崇め、言葉を求め、他の客に対して生贄を差し出せと声を合わせるようになる。

一見して、この女性を中心とした彼らの行いは異常である。しかしこれが間違った行いだという描写はされずに物語りは進んでいく。確かに彼女の言った通り、聖書の内容が次々と現実になっていくのだ。彼女が間違っていたのか正しかったのかは、最後まではっきりせずに終わるのである。

 

見終わった後に残るのは確かに「あと味の悪さ」である。しかしそれで片付けるわけにいかないほど謎の多い映画なのだ。

日常と非日常、人としての常識、信仰、映画の形式とタブー。

パニックミステリーという枠組みの中であらゆる問題提起が浮き上がってくる作品である。